エッセイ(A-2)から続く
タシケントでは全員で日本人墓地を訪れました。
戦後シベリア経由で中央アジアのこの地に抑留された人々は、今も市内に残るナヴォイ劇場の建設や土木工事などに大変ご苦労されました。
帰国叶わずに亡くなった方々の墓地が数か所にあり、桜の大木が静かに見守っております。
墓碑には氏名と出身地が刻まれており熊本県出身の方のものもあります。
この国で抑留者が示した勤勉さと仕事ぶりとは今も人々の心にしっかりと刻まれており、日本と日本人への友好的な気持ちが感じられました。
数年前には日本のドラマ「おしん」が大ヒットしたそうです。
日本の武道も盛んです。ウズ合気道連盟の道場で一緒に稽古した人々の俊敏な動きと落ち着いた居ずまいは、まさにユーラシアの地政と厳しい風土とに鍛えあげられた草原の民の末裔達のものでありました。
縁あって素晴らしい体験をすることができました。
今も、異国ウズベキスタンの風物とどこか昭和30年前後の天草を思い起こさせる人々の素朴な笑顔が忘れられません。
終わり
以上の文は、2015年3月発行の天草文化協会誌「潮騒・第30号」に投稿したものです。